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自己紹介

25歳、アメリカ(ニューハンプシャー州)出身のニシャントです。現在、宮城県にある、気仙沼市で観光の仕事しています!今年、YouTuberのクリス・ブロードさんの被災地レポートに取り上げて貰いました

2014年にJETプログラムの参加者として初めて日本に来ました。どこに行っても良い経験にはなるだろうと考えていて、行先の希望無しで申し込みました。しかし、JETプログラム事務局から「行先は宮城県気仙沼市になりました」の連絡を貰った時、宮城や気仙沼のこと、まったく分らなかったです。そこで、気仙沼のことをネットで検索して、気仙沼は東日本大震災で大きな被害を受けた町だと初めて知りました。

気仙沼の唐桑半島からの夕日

被災地に住むことに対して色々な不安はありましたが、それまでは気仙沼の存在すら知らない私を受け入れてくれたということを貴重なご縁だと感じました。復興の進み具合について知りたくて、ネットで色々検索しました。しかし、英語の情報があまりにも少なくて、状況を創造することもできませんでした。本当にわずかの力にしかならないだろうと思いつつ、気仙沼のために何かできたらいいなと思いました。

気仙沼本吉町にある日門漁港

一番最初に住んでいた部屋は気仙沼の港町にありました。アパートの目の前は「復興屋台村 気仙沼横丁」でした。最初の頃、友達も知り合いもいない中で、屋台村に毎晩のように飲みに行っていました。お店のオーナーの方々が、私は日本語が喋れないにも拘わらず、いつも暖かく歓迎してくれました。仕事帰りに寄ると、色々な人に「おい!ニシャント!元気か?」と声掛けて貰って、とても嬉しかったです。全国から来ているボランティアの方々や地域の方々と毎日一緒にご飯を食べていると、いつの間にか私も常連客になりました。屋台村のおかげで、気仙沼は私の居場所でもあると感じました。

1年半ぐらい住んでいた部屋は復興屋台村の真裏でした
アパートから5歩ぐらい出たところです!5秒でのみに行ける部屋なんて最高でしょう?!
屋台村の仲間たちのおかげで、気仙沼は私の居場所でもあると感じました。

お仕事は気仙沼市内の小中学校でALT(外国語指導助手)として働いていました。気仙沼みたいな田舎の子供たちは外国人と接する機会が少ないので、私を通じて子供たちに海外のことに興味を持たせるのが毎日の目標でした。英語を教えるつもりで日本に来ましたが、子供たちに教えて貰ったことの方が多かったです。朝「Good morning」と挨拶すると、倍ぐらいの元気で返事が返ってきました。「ニシャントの出身地に行ってみたい、英語を勉強して色々な国の友達を作りたい」のような話しを聞くと、私もより一層頑張りたい気持ちになりました。学校の仕事は楽しくて、やりがいもありましたが、学校以外にも色々な人と繋がる仕事、町のためになる仕事をしたいという想いもありました。気仙沼に来て、色々な人に助けられましたので、恩返しができる仕事したいなと思いました。

「Turn Left, Turn Right,  Go Straight」を使って道案内をする授業。

気仙沼は豊な自然や美味しい食に恵まれている町ですので、震災前から色々なところから観光客は来ていました。2年前に、気仙沼の観光を全力で盛り上げようとしている色々な友達と出会いました。気仙沼の観光資源を磨き上げて、町の魅力を一生懸命発信している姿をみて感動しました。

毎年の8月に開催される気仙沼みなとまつり

私は2016年8月に帰国したのですが、2017年に気仙沼の観光の仕事で頑張っている友達、森成人さんに「今度、世界中から来ているお客さんを呼び込むのに、ニシャントが気仙沼に戻ってくれないか?」と声をかけて貰いました。それから、2017年6月から気仙沼観光コンベンション協会の職員として受け入れて貰いました。

日本には毎年2000万人以上の訪日外国人観光客は来ているのですが、東北まで足運んでくれる人は約1%。しかし、東北でしかできない旅はあると思います。気仙沼は東日本大震災を乗り越えてきた町だからこそ、ここでしか感じられない良さもあると思います。

私もアメリカから再び移住してくるほど素敵なところです。

また是非、気仙沼でお会いしましょう。

ニシャント・アンヌ

気仙沼観光コンベンション協会

お問い合わせはコチラ→ nishant-kck@k-macs.ne.jp